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daikiは技術力をどのように学んだか? パート1

自分とコンピュータの関わりをまとめてみる。全部のストーリーを書くときりが無いので、メインイベントに絞って今回は書いていきたい。長編になると思う。(3,4パートぐらいまで考えている)

自分の備忘録と誰かの参考になればと思う。

どういう人か?

この文章を書いている時点で20代前半で、大卒、東証一部上場企業でソフトウェアエンジニアとして働きつつ、市井の研究者としてML系の応用研究(@IPSJ, IEEE)をしている人である。

技術力は一概にスコア化出来ないという信念を持っているが、同年代の他のエンジニアに比べてもそれなり以上に技術力はあると思っている。

一方でエンジニア全体で見ればレベル感としては中の上くらいかなあという雑感。

情報処理技術の歴史については、なぜか90年代から現在までの知識がある(90年代とか生まれてないのに)。

育ちの背景と幼少期

生まれは九州の田舎。インターネットなんて殆ど一部でしか使われていないような場所で生まれた。実家は自営業で、農業、漁業、建築業と言った事をやっているような複合的な環境におかれていた。

当時情報技術の潮流は、多くの人は情報技術の発展によって「つながる」すごさを知り始め、コンピュータはワープロ以上にコミュニケーションにおいて多大なる威力をもっていると気づき始めた頃であったと思う。

自身は順調に幼児から児童にアップデートされていて、小学校2,3年の頃に初めて自分用のPCが与えられた。当時小学校で触れていたコンピュータに触発されてなぜか気に入り、親に何度も何度もねだった結果、知り合いのビジネスマンのお下がりがもらえた形であった。

時代は2000年代に入り、ブロードバンドが普及し始めた時代であったかと思うが、当然オフラインな環境でちまちまといろんなソフトを試したり、OSの設定を書き換えたりして楽しんでいた。拡張デバイスもいろいろ試した。プログラミングはVBScriptをしていたように思う。

OSの設定をいろいろ変えていると当然起動しなくなったりするわけだが、分厚い説明書をよむと何やらリカバリーディスクなる魔法の円盤があるとどんなにぶち壊してもソフトウェア的な物であれば復旧できるとある。当時お下がりでもらったときにそんな付属品などは譲り受けなかったので、まだまだ知らない周辺機器や技術があるのだと、ますます興味がわいた。

初めてのワークステーション

中学に入ると、母がどこぞから譲り受けたワークステーションを持ち帰ってきた。このPCが無ければ今の自分はいなかったと思うほど使い倒したこのPC、なんとWindows 2000がプリインストールされていたのであるが、実家に来て半年ほどで起動できなくなってしまった。今でも記憶に残っているが、当時旧型WindowsにXPフレーバーな見た目を実装するとかいうソフトを試して失敗して起動しなくなった。起動できていた時期には、無料版のVBでいろいろデスクトップソフトを作っていた。

Pentium IIIが搭載された大型レンガになってしまったPCを何とかしようといろいろ考えた。そこで思い出したのが小学時代になくて困ったリカバリーディスクの存在である。リカバリーディスクが手に入らないか母に聞いたが、機械に疎い母は訳が分からないようで、手に入ることはなかった。

小学時代はそれで諦めていたのだが、少し知恵がついた中学生は、CDは焼けるのだということを知っていた。当時はレンタルCDをダビングするとかいう事が流行っていたことも知識に影響したのだろうと今は思う。そして空のCDを買ってきて、学校のPC室でCDを焼こうと画策したのであった・・・。

Windowsは無料じゃない… Linuxとの出会い

学校のPCでCDを焼こうといろいろ調べてみるとISOというのが必要と分かった。そしてWindowsのISOを探すのだが全く見つからない。そう、当時Windowsは購入しないとメディアすら転がっていない中学生には超入手困難なブツであったのだ。

しかし、調査を進めるとなにやら無料のWindowsオルタナティブが存在していることを知る。なんという名前だったかは忘れたがLinuxディストリビューションでWindowsライクな操作感のOSがそれだった。訳の分かっていない中学生はこれは渡りに船だと中学校のPC室でISOを焼くのだった・・・。

続く…

次回では初めてのLinuxで困りに困った話、Windows環境を取り戻した話、3台目のPCの話などを出来たらなと思う。

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